一般評価というもの

「クズめ、ものを言うな。語るな。それは俺が既に考えている。俺より優れていると周囲の人物が認め、俺自身も認めざるを得ないと思われるもの以外は目に触れることを許さない、死ね、死ね、死ね、俺に満足を与えろ、俺にもっといいものを与えろ」
という怨嗟の声が聞こえてくるので、他人の評価に耐えうる作品を作らない限りクリエイティブな作品の一般公開はしないようにしているのだが。こういう分野は、わりと自分の人生を削って生き馬の目を抜こうと必死になっている人とその取り巻きが支配するので、結局は効率云々の話で言い始めると「表現」という意味で言えばそういったクリエイティブな行為はしない方がいいということに。
リプレイの一般公開なんてやめましょう。時間の無駄無駄。ただし、ちやほやされるような女性とかゲームライターの息のかかった人なんかはいいと思いますけどね。
民共はあくせく働いてきた金でコンシュームしてればいいのさ、ヒャッハー!!

 俺は中学生の頃TRPGの雑誌を数冊買っていたことがある。その雑誌が姉に見つかり、こう言われた。
 「あんた、何エロ本買ってんの!」
 TRPGにはエロという素材は欠かせないようである。多くの人がこのことを肯定化し、またこれに拒絶感を持つ人も少なからずいた。ちょっとこの辺りについて、通り一遍の考え方を自分なりにまとめておこうと思う。ちなみに、この論考はあくまで「当たり前のことについて」整理しただけであり、内容はごく普通のもの(どこにでも転がっているようなもの)になる予定だ。

エンタテイメントとエロティック

 エンタテイメントにエロティックな要素は欠かせないと言われている。
 このあたりは心理学的な考察やら社会学的な考察が必要だろうが、恐らくは「性と死」が人間にとって一つのドラマであり、センセーショナルな事柄であるということに関連していると思われる。特にエロティックな刺激というのは人間に内在するエロティックな要求を直撃してそれを満足させるという効能を持っている(つか俺は何を真面目に書いてるんだ)。
 ま、このあたりはバタイユなんぞを読んだ方がいいのかもしれないが、そんな時間はないので軽く。
 しかしながら人間には抑制システムというものもできていて、生命に直結する性と死のシステムについてはタブーであることが望ましい、と文化的に規定されているようである。これもこれといって証拠文献を挙げはしない。レポートじゃないんだから。
 よって、性的な表現に対面した時に、人はたいてい深い興味を覚えながら、これを拒絶しようとする。拒絶しようとするのは文化的抑制であろうと思う(あんまりサルなど以外の文化的程度の高くない動物がそうだって話は聞かない。象とかは違うかもね)。文化的抑制というのは秩序を保った社会を形成しようとする無意識の意識に近いもの。
 この社会的抑制がゆるい人というのは沢山いるわけで、そういう人はエロいとか、それで済めばいいが大抵はスケベ親父とか変態とか罵られることになっている様子。
 で。興味を引くという点とタブー意識を持たれる点というのの狭間にあって、エンタテイメントはこの特性をどう利用しようかと四苦八苦している。
 単純に考えて、TRPGがエロティックな要素に触れていくのはエンタテイメントとして問題ないという見方もできる。ただし、エロティックな要素に踏み込んでいけるのは倫理的抑制の緩む部分、つまり倫理的規制をかけなければいけないと目されない、いわば社会枠として認められない部分だけだ。簡単に言うと、15歳未満の人が見る可能性の高い9時前のテレビ番組にはシャワーシーンを放映するべきではない(といわれることが多い)し、18歳未満の人が見る可能性が高い23時前のテレビ番組では露骨にエロティックな描写を避けるべきだ(といわれることが多い)。まぁ、シャワーシーンの方が明らかエロいだろとかシズカちゃんの入浴シーンはどうすんだとか色々問題はあるが。しかしなんだ、PTAみたいなこと言ってるな俺。
 この意味でTRPGが好きな人物が、TRPGがアンダーグラウンドな場所をターゲットにしていることを不快に思っていても問題はあるまい。深夜に自分の好きなアクションドラマがやっているけど、深夜枠だからかエロシーンが多々挿入されているのが倫理的に気に食わない、というのと同じ感性じゃないだろうか。

被エンタテイメント・エロティックと欲望

 もっとも、TRPGには別の側面も存在する。TRPGとは受動のエンタテイメントではなく能動のエンタテイメントでもある。それに関してどう思うか、というところでもまた、エロティックな問題は発生する。
 TRPGに参加している以上、絶えず能動側としてエンタテイメントを作っていく必要がある。そこには個人の趣味も出てこよう。ここにそのエロティックなものを挿入される(なんかやらしいな)というのは倫理的に気に食わない、穢れのようなものを感じる、という人は大勢いるはずである。逆に、そのようなエロティックなものを演出することに快感を感じる、という人もいるだろう。このあたりは性と死の問題に立ち返ることになるのでユングとかバタイユ似非科学本でも読んでいてくれ。
 問題となるのは、このような欲望と倫理規制にははっきり言って「根拠がない」ことだ。議論をしても水掛け論になるだけである。肯定側は「どうせお前も人間だ、あんなことやこんなことをしてるんだろ? それを肯定して大っぴらにするののどこが悪い」と言い張るし、否定側は「社会的タブーと状況を弁えてやれ、そんなもの・ことを他人にひけらかすことにたいしてなんとも思わないのか」と返す。両方感性の問題である。簡単な話で、肯定側はエロティックな欲望をさらけ出したいというある意味人間として正当な行為をしているのだし(猥談くらい誰でもしたことがあるでしょう)、否定側は形成された社会ルールを遵守しようという、これまた社会的動物として当然の行為をしている。しかしながらこの部分を表に出すと人間関係がギクシャクする。それでこれだ。
 

微エロ、萌えエロの肯定否定

 そういった意味で、微エロ、萌えエロと言われるようなものを軽いエロティックとしてTRPGに組み込んでいくことにしている場合も多い。まぁものは言い様、感性次第というやつで、幼女の素っ裸が出てきたり、ふとももまる見えのメイドさんがたくさん出現する作品はどうなんだ、という話がある。これも購買者層がそういう文化を好む傾向に高いから、という(まさに素っ気無い)理由で設定されていることが多い。まぁなんだ、ここからは水掛け論だ。
 肯定も否定もすべきではないが、漏れ的には「天誅」に歌われてるようなハイエンドおたくが「おぱんちゅおぱんちゅー!」とか奇声を上げてるテーブルに同席はしたくないなぁというのが本音のところである。

 がれっとの潜む闇、も何らかの形で復活させたいので、今のところこのweblogは思いつくことをつれつれ書いていくだけの形にしようと思う。
 さりとて、やることはいっぱいあるし、別のハンドルで書いている記事(こちらは人のためになるようにと思って書いてる記事だ)もあるので、ある程度構想をまとめておかないと、忙しさにかまけて書けなくなる可能性も高い。
 そのため、ここで書こうと思っていることについてまとめておく。

  1. 男性と女性の問題〜嫌女論
  2. エロ撲滅と微エロ・エンタテイメントと"被"エンタテイメント
  3. スタイル及び強固な意志を持つことの脅威
  4. 不満ということについて
  5. 思考の限りの状況トレースということについて
  6. メンヘラーとTRPG
  7. SE・プログラマTRPG
  8. タブーに触れること

 いずれもがれっとが昔から問題意識を持ってきていたことではあるが、その全てがweb上で発表するにふさわしくないことである。がれっとのことであるから準備なしに妄言を書き散らしたいところであるが、途中でやっぱ書いてる意味ねぇじゃんこれと思って投げることも往々にしてある。
 そのため、ここに提示したものはおそらく殆ど書かれないであろう。
 人目に触れることもないが、記録として残しておく。

876 名前: NPCさん [sage] 投稿日: 2005/10/13(木) 22:00:11 ID:???
過去の書き込み見るとオモロ要素は色々持ってんだよな、ガレット。
・最後に一言、言い返さないと気がすまない
・自分が有利だと「信じた」場合、文章がねちっこくなる
・何かあったら「七凶神の一人に何マジレスしてるの?w」と返す
自分のサイトを持って、この調子で色々書いていたら晒されることもあるんじゃないか?



正解だが、俺は既にオモロ系に分類されていると思ってました。ショボン。
まぁ、記事書かん事にはオモロとも言ってもらえないので、暇を見つけて書いていきますか。

しかし、今更俺に語ることがあるだろうか。
俺は既に語ることをやめてしまった。
俺は昔から持っていた別のハンドルを駆使し、trpgに関しては触れ続けてきた。
様々に笑える体験をしてきたが、それはここでは伏せておこう。
俺は鋭い刀で人を切りつけることに恐怖を覚え
糞味噌に事態を嘲う感性をもはや失った。
だから俺はもはや亡霊に過ぎない。
過去に鋭かった刃の亡霊にすぎない。

その刃の亡霊が今でもつぶやき続けるのだ。
ケナシタイ
ツブシタイ

戻ってきたがれっとは沢山の同族を見た。
意味もなく他人をけなす論客は、ここ数年のインターネットの目ざましい普及によって増えていった。
凶神の名を与えるべき存在は既にいる。

がれっとはにやりと笑う。
そんなものはどうでもいい。
がれっとは嵐。
どこにでも出没し、意味不明のコメントを残し、そして去る。
それだけができればいい。

これで俺は何故俺が活動を止めたか語った。
たったそれだけのことだが、全く自分に関係の無いことで人に殺意を抱ける人のことが怖かったのだ。
がれっとは案外軟弱者だったのだな、と思う人がいるかもしれない。
がれっとは今も存在する。
がれっとは闇に潜む亡霊達のうねりだからだ。
怨嗟の声があれば、がれっとは調子づき
罵声があれば、がれっとはにやつきをはじめ
憎悪をもってがれっとは行動を開始する。

脅迫

 その電話の会話は録音した(今ではどこに行ったか不明だが)。
 中身はこういうものだった。
 オマエは今、ネット上でがれっとというハンドルを使い活躍しているそうだ。
 その中の文章に自分の気に入らない文章がある。
 それは私の知り合いを侮辱するものだから削除し
 今後一切のweb上の活動を止めろ
 止めないと夜道で何が起こるか、分からないぞ

 少し耳を疑う発言だった。
 今ならこう返していただろう。
 「大丈夫ですか。ケアセンターなら紹介しますよ」
 このような発言を行う人物は多い。
 しかし俺はまだ若く、そのような行為に慣れていなかった。
 警察に行くな、誰にも喋るな、この件を一切話に出すな。
 そういう脅しが怖かった。
 相手がなりふり構わない場合、そういう行動を取るものもあるからだ。
 (後日、実際にそういった行動を取ってくる相手と、俺は対峙している)。
 そうしたわけで俺はweb上の活動を停止した。